大相撲の魅力はいろいろあれど、そのひとつに、誰が見ても取り組みの結果がわかりやすいというものがあるでしょう。
とてつもなく簡単にいえば「土俵から相手を出せばいい」という単純明快なルールは、大相撲ファンでなくとも知っていることです。
ですが、大相撲にはその反面、他の格闘技やスポーツなどとは異なる部分も多く存在します。
例えば、土俵で向かい合う二人の力士はしばしば「東方力士(ひがしたかたりきし)」「西方力士(にしがたりきし)」とアナウンスされたりします。
そう! 大相撲では番付で東と西に力士が別れているのです。
「なんで東西なんだろう?」という疑問は多くの方がもたれるものでしょう。
私も、幼い頃に祖父とテレビで大相撲を見ながら「なんでかな〜」とぼんやり思っていたものです。
今回は、大相撲の東西についてちょっとした歴史と、東西による違いの有無、どのように分けているのかなどをご紹介します。
このページの目次一覧
大相撲はなぜ東と西に分かれているの?
大相撲が東西に別れている理由は諸説ありますが、今回はそのなかでも現在の大相撲の流れ、つまり興行としての大相撲における東西についてご説明します。
今現在の大相撲のような番付表が作られ始めたのは、時代でいうと江戸になります。
ちょうど徳川9代将軍〜10代将軍あたりの宝暦(1751年〜1764年)という元号の頃のお話です。
「え? 相撲ってもっと昔からあったんじゃないの?」と思われるかもしれませんが、神事や宮中行事としての相撲と、現在の大相撲のような興行のための相撲は、別に考えていたほうが混乱が少ないと思います。
この宝暦の番付ですでに東西は存在しており、最初のうちは現在の滋賀県、近江国を境に東西を分け、力士の出身地によって東西を分けていたようです。
そもそもなぜ「東」と「西」を使っているのかについても諸説ありますが、これには宮中行事としての相撲の流れが重要になってきます。
奈良時代〜平安時代に行われていた宮中行事の「相撲節会(すまひのせちえ)」では、すでに力士の配置は東と西になっています。
なぜならば、この行事を見ている天皇が北に座っていたからです。
「天子南面」という言葉がありますが、ざっくばらんに言えば「天子(世の中を支配する人物)は南を向く」というということです。
つまり「相撲節会」でも、当時の天皇は北を背中に背負って南を向いていたわけですね。
すると、力士が配置されるのは自ずと、東と西になるわけです。
おそらくその名残で、興行としての相撲も東と西に力士を振り分けたと考えられます。
大相撲の東と西には違いがあるか
さて、大相撲の力士は東西に分けられていますが、その力士に違いはあるのでしょうか。
結論から申せば、あります。
同じ番付であっても東方の力士が、半枚上として考えられています。
つまり、横綱が2人いる場合は西の横綱より東の横綱のほうが半枚だけ格上ということになります。
なぜ東のほうが格上とされているかといえば、これにも諸説あります……。
しかし「東のほうが半枚上」が定着したのは、1909年の以降になります。
1909年当時の相撲は、今のような個人戦の相撲ではなく、東方と西方での東西対抗方式でした。ちなみにこの方式は「東西制」と呼ばれています。
そして、優勝した方を、翌場所に東に配置したので「東が半枚上だぞ」という意識が一般的に浸透したと言われています。
また、そもそも東は北から見て左側になります。
日本では古来から、左と右であれば左のほうが格上とされてきました。例えば、雛飾りでおなじみの左大臣と右大臣は、左大臣のほうが偉いですよね?
つまり天皇が座した北から見て左側、東のほうに格上がくるという考え方もあります。
大相撲の東と西の分け方は?誰が決めてるの?
さて最初の項目で、はじめのうちは出身地によって東西を分けていたといいました。
ですが、これはそのうちとりやめられ、出身地とは関係なく力士を東と西に分けるようになります。
1909年から始まった「東西制」のころは、東方力士と西方力士は原則として固定でしたが、東と西の力が拮抗するように、ときどき力士の入れ替えを行っていたようです。
現在は「部屋別総あたり制」が取られており、同じ部屋の力士同士以外との総当たりで取り組みが行われています。(※例外:別の部屋であっても、4親等以内の血縁がある力士同士は対戦させない)
そんな今では、力士は個人の成績に応じて、東と西に振り分けられます。
例えば、横綱が2人いるとします。
すると自然と「東横綱」と「西横綱」に割り振られますよね? このとき、前の場所で好成績だった横綱が「東横綱」になります。
先ほど説明したとおり、東のほうが半枚上だからですね。
他の力士もおおむね同じよう考えられます。
それぞれの勝ち星に応じて、まず番付が決まります。
そしてひとつの番付に対して力士は東西2人が存在するので、基本的には同じ番付同士で。より好成績だった力士が東に入ります。もちろん例外もあります。
番付は、勝ち越しの星1つに対して1枚というのが基本的な考え方です。
つまり「8勝7敗で1枚上がる」「7勝8敗で1枚下がる」というのが番付の大原則です。
ですが、もし8勝して「よっしゃ!1枚あがるぞ〜」と思っても、自分より上の番付全員が勝ち越ししていたらどうでしょう。上がる場所がありませんね。
また、すぐ下の力士が10勝していたら、追い抜かれてしまいます。
このような東西の分け方を含めた番付の編成は、「番付編成会議」で決められます。
「番付編成会議」は、本場所終了後3日以内に執り行われ、主に審判部に所属している部長・副部長・委員が出席します。
まとめ:大相撲の東西はズバリ…
大相撲が東と西に分かれている理由や、分け方などをご紹介しました。
最後にまとめておきましょう。
- なぜ東西で別れているの?:「東西制」のなごりと思われる
- そもそもなぜ東西?:「天子南面」に基づいてという説がある
- 東と西の違いは?:東が半枚格上
- 東と西の分け方は?:勝ち星による番付編成によって決められる
全体的に「諸説ある」ということが多すぎる気もしますが、はっきりとしたことがわからないのは、それだけ相撲の歴史が古いということです。
現在の大相撲における東と西は、番付編成が大きく絡んでいます。そしてその番付編成の大きな要素が力士の「勝ち越し」「負け越し」です。
大相撲を見ながら、「勝ち越しってことは来場所は上がるな」などと自分なりに番付を予想すると、もっと楽しく観戦できると思います。
ぜひぜひ、東と西に興味を持ったこの機会に、番付編成も楽しんでみてくださいね。